文楽12月公演 2007年12月13日


昨日(12日)、国立劇場の小劇場で恒例の12月文楽公演を観た。

『信州川中島合戦』
「輝虎配膳の段」
構成自体に無理があるのか、演出の未熟か、芝居としてまとまりがない。吃音のお勝が筆が達者で、琴を奏でながらだと吃音が直るという設定が、とってつけたようで芝居を壊している。輝虎の新太夫のための段のようで、あとは影が薄い。咲甫太夫の美声と新太夫のだみ声が対照的だが、文楽では力強いだみ声が勝つ。十九大夫が不祥事で除名となって、十九のお茶くみをしていた新太夫はだれについたのだろうか。お勝の呂勢大夫は無難にこなしてはいたが、あまり力が入っていないようだった。三味線は燕三がすべてを切り盛りする。

『新版歌祭文』
「座摩社の段」
初めて見た段だが、チャリ横溢でなかなか面白い。通常演じられている省略版の野崎村だけなら、あらずもがなの段なのだが、これが加わることで筋に広がりが出る。貴太夫が亡くなったため咲甫が久松、お染が睦大夫。咲甫は無難なところだが、睦は少し荷が勝ちすぎた。狂言回しの小助を語る津国大夫が鋭く突き刺さるような語りで他を圧倒する。小助の人形は勘十郎で、若手中心の12月公演では別格だが、遣う技も別格。このところ観るたびにうまさを増し、演技の幅を広げている。勘六の相子大夫に義太夫語りらしい雰囲気がでてきた。この段も大勢の登場人物を清志郎がひとりでさばく。さきの燕三と同様、有望な若手を成長させる試みなのだろう。

「野崎村の段」
中を三輪太夫、前を津駒大夫、後を文字久大夫。どれもよかったが、そのよさは出た順になった。三輪と津駒はほぼ互角にこれまで観てきたが、どうも津駒が一歩抜け出した。いつもどちらも熱演ではあっても、それが見所の感動には直結しないところがあった。しかし、今日の津駒は語りが空回りすることなく、物語の情感が見所の心に柔らかに伝わってきた。いままで彼を観た中で一番のでき。

文字久が語りだしたとき、一皮剥けたと感じた。おおらかでのびのびとした語りが好ましかったのだが、今日はそれだけではなかった。細かい情緒の起伏をきちんと描写してみせた。後半は少し単調に流れたが、あの長丁場、見所の緊張を持続させたのはたいしたもの。

お染の人形は簑二郎。簑太郎が勘十郎になって独り立ちしたあとは、このひとが簑助の一番弟子となるのだろうか。ときおり、簑助そっくりに人形を遣う。簑太郎の時代の勘十郎にはそうした簑助の影響をあまり感じたことはなかったのだが。さて、このさき、どうなるか。

12月公演は時間も短く、若手中心だが、伸び盛りの若手があれよあれよと成長してゆくのが楽しみ。今回もそうだった。

都バスで東京駅へ出て。華屋で一杯。文楽の後は、一杯やりながら、いまは亡きKさんの感想を聞くのが楽しみだったのだが。


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