岡倉天心の『茶の本』と九鬼周造の『「いき」の構造』 その1

ときどき覗いているテレビ番組「100分 de 名著」に触発されて、これらの古典を読んでみた。書籍を購入したり、図書館の蔵書を漁ったりしたわけではない。近頃はありがたいことに、青空文庫やAmazonのKindle本でどちらも無償でダウンロードして閲覧できる。

まず読んだのは『茶の本』。これは天心がボストン美術館にいたころに英語で書き下ろした『The Book of Tea』の訳本。日本語版は何種類かあるが、青空もキンドルも岩波文庫と同じ村岡博というひとの訳本だった。この訳者は、天心の弟の英語学者岡倉由三郎の弟子である。原本も電子化されているので、この日本語はどういう英文を訳したのか気になったら参照することができる。

電子ブックに表紙もおかしいが、次図のようなイメージが付属している。これはKindle版のデータに含まれるものなので、Amazonは青空文庫をベースにしているということだろう。

無題
Kindle版 茶の本
カバーに「青空文庫」とある

原典がどんな様子か調べて見ると、福井美術館に画像があった。

平成 27-4-5 11-49-45
THE BOOK OF TEA
福井美術館蔵
岡倉天心著『茶の本』 初版本
1906(明治39)年、ニューヨークのフォックス・ダフィールド社から初版出版。

目次
第一章 人情の碗
第二章 茶の諸流
第三章 道教と禅道
第四章 茶室
第五章 芸術鑑賞
第六章 花
第七章 茶の宗匠

目次を一瞥すれば「茶」の文化的側面を正面から取り上げた書物と見える。いざ読んで見ると、西欧と日本(東洋)の美意識とを対比し、東西文化の蘊蓄を傾けつつ、茶の湯についての知識を西洋人向けに縷々述べている。が、それよりも天心の知的バックグラウンドの広さに恐れ入ってしまう。中国の故事にも当時の欧米の文化的背景にも疎い当方にとっては、なるほどガッテンとはいかない。しかし、天心が茶を起点として、東西文化を公平に俯瞰し対比し評価していることは理解できる。あの時代、脱亜入欧の風潮のなかで、フェノロサの影響が強かったとは言え、洋の東西を問わない美の本質について純粋な眼力を有していたことに感じ入る。

第一章から第五章まではたんたんと読み進めることができたが、「第七章 花」にいたって語り口の激しい変化にたじろいでしまった。この章では、それまで内に秘めていた激情をこらえかねたかのように花に仮託した人生への感慨が迸りでる。そして最後の「第七章 茶の宗匠」は利休の切腹で終わる。死を賭して審美の生を生きるなど、いまどきまったくピンとこない。ただ、明治のころにはまだそうした時代の残照があったのだろうなあとの感慨に浸るしかなかった。

追記
原文にこんな誤植が残っている。「第二章 茶の諸流」の最後のほうに、こう訳されたカ所がある。
「十五世紀のころには将軍足利義政の奨励するところとなり、茶の湯は全く確立して、独立した世俗のことになった。」
この「足利義政」のところが英文では次のようになっていた。単純にYをVに取り違えたのだろうが、さすがに古典資料ともなると誤植もそのままに保護されるようだ。

平成 27-4-5 14-07-52

さて、次は九鬼周造の『「いき」の構造』だ。

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OJerBlog更新:2016/11/30

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