元旦 春日大社、鹿島神宮

布団にくるまったまま3chの雅楽、能羽衣などを見ているうちに、1chで春日大社のドキュメントが始まった。これがなかなか面白かった。春日大社の由来を述べ、常陸国鹿島神宮の祭神タケミカヅチが旅だって三笠山(三蓋山)へ鎮まったとしていた。あれこれ日本神話の本を読んでいるところなので、この由来なかなか意味深長に思えた。

タケミカヅチは天孫降臨のとき、それに先だってオオクニヌシと交渉して豊葦原瑞穂の国を譲り受けた(あるいは強奪した)た軍神。だったら、降臨した襲(ソ)か日向(ヒムカ)、あるいは折衝にあたった出雲あたりに祀られてもよさそうなものだ。それがなぜ常陸国などという、当時としてみれば蝦夷との最前線にあたる僻地に祀られる神だったのだろう。

実はこのあたりに記紀(日本)神話に通底するトリックがある。記紀神話は、神話とはいうものの純粋な神話、つまり、神と人とのかかわりが自然な形で伝承されたものではない。大和朝廷(天武朝)が王統の正当性をあたかも神話であるかのごとく説明しようとして作られた物語であろう。現実には大和朝廷は他の諸豪族を武力によって、あるいはそれを背景にした交渉によって平定あるいは併呑してゆく。そして、それらの勢力が固有に伝えていた神話や神格を記紀神話のなかに取り込むことによって、その従属関係の正当性を裏付けようとする。

たとえば、オオクニヌシの国譲りはその典型だが、詳しく見てゆくと、記紀の神話自体がこうした征服・繰り込みの小さなエビソードの集合体なのである。そうして、出雲国も、熊襲の国も、越の国も、紀国も、それぞれ伝来の祭神が記紀神話の登場神格へと変貌してゆく(とおもわれる。とういのも地方固有の神話は諸風土記に断片的に残るが、確実なものはあまり残っていない。風土記自体も成立は記紀以降だから、その影響下にある)。

鹿島の神タケミカヅチもそうだろうと思われている。常陸国は、そのころには唯一残されて非征服民族蝦夷との境界線、軍事最前線に位置する。その土着の信仰の神、地祇がタケミカヅチだったのではないかというのだ。だが、それだけでは神話への組み込みには無理がある。それプラス、中臣氏の存在があげられる。中臣氏は鹿島の地でタケミカヅチを氏神としその神事をつかさどる豪族であった。それが中央へのぼり大和朝廷で重きをなすにいたる。当初は、おなじく宮廷神事をつかさどる忌部氏より低い立場にあったが、中臣鎌足(→藤原鎌足)の出現で立場が逆転し、祭祀に限らず政の中心に藤原氏が躍進する。それが天智天皇のころで、その次を襲った天武天皇の勅で記紀の編纂が開始される。

その編纂の過程で、前述の神話の政治的加工が加えられるのである。日本神話の重要な機能は、天皇家は当然として、大和朝廷の主立った氏族の由来、つまり、神からの系統を詳らかにすることにある。天照大神→天皇がコアであるが、その他群臣もそれぞれに祖神をいただく。中臣(藤原)の祖先は天孫降臨のおり随行したアメノコヤネという神とされている(まあ、というかアメノコヤネの神格がそのまま中臣氏の職掌を反映したものでもある)。

例のチャンバラ(大化の改新)で臣下として鎌足が絶大な力をもつようになり、その子不比等のときに春日大社が創建される。勅令による国家鎮護の神社と称して自家の氏神タケミカヅチを祭神とする壮麗な神社を建立したということだ。ここで常陸国の地祇が一挙に国家鎮護の主神となり、ちょうどその時期に行われていた記紀の編纂作業へその影響が現れて、日本神話に登場する最強の軍神がタケミカヅチとなる。で、えげつなくいうと、天皇家の正統を裏付ける神話のサイドストーリーとして、ちゃっかり、自家の曰わく因縁を繰り込んでしまったということである。

因みに、春日神社の祭神は、タケミカヅチ、フツヌシノカミ、アメノコヤネ、ヒメ。フツヌシノカミはタケミカヅチのもつ大刀の神格化で、香取神社と利根川を介して対する香取神社の祭神。アメノコヤネはすでに説明した。ヒメはアメノコヤネの妃神。春日大社は藤原家の氏神と祖神を祀る神社ということになる。

以前仲間と、南都逍遙で春日大社を訪れたときは、ええ、なんで茨城の神さまが春日大社の祭神なの、きょとん?  てなもんだったが、おもえば遠くにきてしまった。

コメントの投稿

非公開コメント

OJer

清見寺 五百羅漢

OJer

OJerBlog更新:2016/11/30

西蓮寺大銀杏黄葉2016

最新の記事
過去の記事

全記事のリンク

ご近所ブログ
最新のコメント
カテゴリ
検索フォーム